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東京高等裁判所 平成7年(ネ)1271号 判決

第七九九号事件被控訴人・第一二七一号事件控訴人(第一審原告)

伊東房子

第七九九号事件控訴人・第一二七一号事件被控訴人(第一審被告)

細野進

ほか一名

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  控訴費用は、第七九九号事件については第一審被告らの、第一二七一号事件については第一審原告の、各負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  第一審原告

1  原判決中、第一審原告敗訴部分を取り消す。

2  第一審被告らは、第一審原告に対し、連帯して金九九九万八六三四円及びこれに対する昭和六三年六月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え

3  第一審被告らの控訴を棄却する。

二  第一審被告ら

1  原判決中、第一審被告ら敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告の請求を棄却する。

3  第一審原告の控訴を棄却する。

第二事案の概要

事案の概要は、次に記載するほかは原判決と同じである。(なお、原判決五頁一〇行目「徹夫」を「撤夫」と改める。)

(第一審被告らの主張)

一  変形性膝関節症について

第一審原告の変形性膝関節症は、本件事故とは相当因果関係はない。

膝部に限らず変形性関節症は、多くは中年以後に特別の原因はなく、ある素質を基礎として関節の老衰現象に機械的影響が加わつて発生するもの(一次性変形性膝関節症)と先天的又は後天的な関節異常形態、外傷、疾患、新陳代謝異常など明白な原因を素地として発生するもの(二次性変形性膝関節症)があり、一次性のものは潜行的に発症し、初めは関節の硬ばる感があり、後には関歇的に疼痛を伴い、関節可動性は漸次求心的に減少する。患肢の安静後使用の初めに疼痛を覚え、使用によって軽快し、後に漸次疼痛が増強してくるものが多い。二次性のものは、その原因となるべき炎症または外傷により引き続き発症するものが多い。第一審原告の症状はまさに右一次性変形関節症そのものである。

昭和六三年一〇月一五日、第一審原告の右膝は、変形性関節症変化のみであり、経年的変化は特別の原因なく顕在化し増悪するものであり、患者の素因等により急激に増悪するものもあれば、徐々に増悪するもの、軽快又は増悪を繰り返すもの等々多彩な症状があり、約一年の間に増悪することは何ら異とするに足りない。

また、長谷川鑑定は、変形性膝関節症に関する所見は、右膝の外傷の有無は不明であるのに、その存在を前提としており、矛盾があり、不確かで患者に有利な立場から解釈しすぎている。

さらに、原判決は、前記変形性膝関節症の特性を考慮することなく、左膝についてまで、間接的にではあるにせよ傷害を負わせたものであるとし、全部について本件事故と傷害との間に相当因果関係を認めており、失当である。

二  頸椎、腰椎の症状について

第一審原告の頸椎に関する症状も、受傷自体に疑問がある上、カルテ上の医師の所見、看護記録からみて受傷があつたとしても、高取鑑定が述べる四ないし一二週間の通院加療により治療する程度が最大限とみるのが合理的で自然である。

長谷川鑑定は、腰痛はもともと存在した変形性脊椎症によるものとしているが、脊椎に加齢性の変性があつたとすると、頸部、膝部にも同様の変性があったと認めるべきである。

三  後遺障害について

第一審原告の変形性膝関節症の増悪が、本件事故によるものとしても、ごく一般的な手術で日常生活に支障のない程度に回復できるものであり、第一審原告が手術に応じないのは、現実の生活の場では、さほど苦痛を感じないからである。後遺障害を残すと評価できるのは、特殊な危険を伴う治療は別として、治療が困難で改善の見込みがない場合に初めて検討されるべきものである。

四  寄与割合について

第一審原告には、潜在的に膝関節症が存在しており、本件事故によりそれを増悪させたとしても、第一審原告には、体質的素因(変形性脊椎症、五十肩と呼ばれる変形性肩関節症、膝の素因)の程度は高度であつたから、本件事故による寄与度は極めて少ない。

五  損害額について

第一審原告の主張する損害は、本件事故と相当因果関係のないものまで前提としており、第一審原告の収入、労働能力の喪失率も根拠がなく全て失当である。

弁護士費用について、昭和六三年六月二六日からの遅延損害金を付するのも失当である。

(第一審原告の主張)

原判決は、休業損害の算定に当たり、入院期間、実通院日数の期間を除いては五〇パーセントの就労制限を受けたにすぎないとしているが、当時第一審原告は、全く稼働能力を失つていたものであり、一〇〇パーセントの就労制限を認めるべきである。

また、逸失利益の算定に当たつても、症状固定の日から労働能力喪失率は三〇パーセントを超えていることは、第一審原告が現在両膝関節障害により、階段を昇降する能力を完全に喪失したため、これまで居住していた四階のアパートを引き払い、長男夫婦の下に身を寄せ、僅かの家事労働の手伝いをするほか全く稼働能力を喪失していることからも明らかである。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、第一審原告の請求は原判決の認容する限度で理由があるものと判断する。その理由は、次に記載するほかは原判決の理由説示のとおりである。(なお、原判決一九頁一行目「右膝外傷性」を「右膝外傷后」と改める。)

1  変形性膝関節症について

証拠(甲三ないし五、甲七の三、乙三の二、原審長谷川鑑定、同証人長谷川幸治)によると、第一審原告は、本件事故後五日を経過した昭和六三年七月一日、真砂クリニツクで、「膝が曲がりにくい」との症状を訴え、同月二日から七月三〇日まで鍼治療を受け、栗山病院で初あて診察を受けた同年七月三一日にも右膝に関する症状を訴えており、以後、同病院及び鹿教湯病院において継続して右膝の治療(注射、牽引、水抜き)を受けており、平成二年三月二六日栗山病院の医師から両膝に著しい機能障害があるとの診断を受け、千葉県から身体障害者等級表四級の身体障害者手帳の交付を受けていることが認められる。

この点に関し、第一審被告らは、第一審原告の膝関節に関する症状は本件事故とは相当因果関係はないと主張する。

しかしながら、証拠(長谷川鑑定、原審証人長谷川幸治)によると、第一審原告は、本件事故後約一か月後の昭和六三年八月一日のレントゲンでは、右膝の内側関節裂隙は四・五ミリ(正常値は五ミリ以上)であつたが、平成元年一〇月六日のレントゲンでは一ミリとなつていることが認められ、長谷川鑑定によると、このような急速な関節裂隙の狭小化が認められるのは極めてまれであり、第一審原告の変形性関節症は、外傷によつて引き起こされたものと推認している。

そして、証拠(乙三の一、乙四の一、原審第一審原告本人)及び弁論の全趣旨によると、第一審原告は、昭和五九、六〇年ころ突発性難聴、昭和六二年に五十肩で治療を受けたほかは健康であり、本件事故当時は四階にある住居に住んでいたことも認められるのであつて、特に膝に関する病状が存在したとは認められず、第一審原告は本件事故後五日後から右膝の症状を訴えているのであり、この点からも、第一審原告の右膝変形性関節症と本件事故との関連性は否定することはできない。

のみならず、証拠(乙一の六ないし九、乙一〇、原審第一審原告本人)によると、被害車両は右折するために方向指示器を点滅させて停車していたところに、加害車両を運転していた第一審被告細野進が、これに気づいて急ブレーキを掛けたが間に合わず追突したものであるが、現場には急ブレーキのスリツプ痕はないので、ほぼそれに近い速度で衝突したものと推認され、被害車両も後部を大破しており、衝突の衝撃で第一審原告は座席ごと後ろに引っ繰り返つているのであつて、第一審原告が身体に相当強力な外力を受けたことは否定することはできない状況にある。したがつて、長谷川鑑定が、第一審原告の膝に関する症状は本件事故の際の外力によるものと推定している点についてはそれに符合する状況は十分あり、その推定が根拠のないものとは到底認めることはできない。第一審原告が外傷を受けたとの事実関係が明確にならないからといって、右事情のもとでは、右認定判断に影響を与えるものではない。

また、第一審原告の腰部に加齢性の変形性脊椎症があるからといって、膝部、頸椎に同様な変性があつたとする客観的な根拠はなく、左膝に関する症状も原判決の認定、判断に特に不合理な点は認められない。

2  頸椎、腰椎の症状について

高取鑑定は、時速二〇キロメートルでの車両衝突実験やボランテイアが乗車した追突実験を前提としているが、後者の追突実験は乗車した者が衝突を予見してのものであることが窺えるところ、本件では加害車両の速度は時速四〇キロメートルで、被害車両は右折準備をしている状況にあり、後部からの追突も予測していないのであるから、高取鑑定は、本件事故とは相当異なつた状況を前提としており、採用することはできない。

3  後遺障害について

証拠(乙四の一、長谷川鑑定、原審証人長谷川幸治、同第一審原告)及び弁論の全趣旨によると、平成元年一二月七日、鹿教湯病院で右膝の疼痛をなくすためには脛骨高位骨切り術の手術適応があるとされたことが認められるが、原判決認定のとおり、右膝の可動域には屈曲、伸展双方とも障害が認められるのであつて、右手術により可動域の症状が好転するのか不明であり、手術に伴う侵襲による危険を含むものであることも否定することはできず、また、第一審原告は一度手術をするとその後相当期間の経過をすると再手術の必要もあるとの説明を受けている事情も窺えるのであるから、後遺障害による損害の算定に当たり、現状を前提として計算することが特段に不合理であるとまでは認められない。

4  寄与割合について

第一審原告に潜在的に膝関節症が存在したことは証拠上認めることはできず、原判決の認定するとおり、第一審原告には変形性脊椎症や五十肩は認められたものの、第一審原告が本件事故による傷害は、腰部だけではなく、膝や頸椎にも受けたものであり、前記体質的素因があつたことにより全体的には損害が大きくなつたとまで認められず、そのことによる減額をすべきであるとは認められない。

5  損害について

原判決挙示の証拠によると、原判決のとおりの損害を認めることができ、その算定方法に特段不合理な点は認められない。

なお、弁護士費用につき加害者が負担すべき損害賠償債務も、当該不法行為の時に発生し、かつ遅滞に陥るものと解するのが相当であるから、不法行為時から遅延損害金をつけることは不当ではない(最判昭和五八年九月六日民集三七巻七号九〇一頁参照)。

二  よって、本件各控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 篠田省二 淺生重機 杉山正士)

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